東日本大震災から10年

2011年3月11日、夜が明けた時点では誰もあんなことになるとは思わなかっただろう。でも起きてしまった。

津波がこれほど凄まじいものだとは、原発が事故を起こしたらこんなに危険で手がつけられないものだとは知らなかった。自分自身知ろうともしていなかった。知らないって怖いことだ。あの日、自分は大学生で春休み期間だった。家でパソコンを打っている時に揺れが来た。ベッドの柵と簡易テーブルにしがみついて耐えた。

幸い落ちてくるようなものはなく、ヘルパーが15分後に来たため、すぐに被害状況を確かめてもらうことができた。

あれがもし大学や街の中にいる時だったら、怪我をしてたかもしれないし、電動車椅子の充電が切れて立ち往生してたかもしれない。

家族はそれぞれの場所で怖さを感じていた。高校生の弟は膝の手術を控えて入院していた。病院だから予備電源はあるし、耐震にもなっているはずだ。

しかし、手術中に地震が発生していたらと思うと、心配になる。母は弟が入院生活で必要なものを車で届ける最中だったという。車が恐ろしいぐらい上下にバウンドして、頭を打ちそうな勢いだったらしい。震度5〜6程度の神奈川でさえ、そんな状況だから東北の人達が体感した揺れは尋常じゃないと思う。

なぜ静かに暮らしていた人々がこのような災いに遭い、大切な人を亡くすことにならなきゃいけないのか。それは誰にも分からない。

10年経っても被災した人々にとってはちっとも終わったことではないだろう。物理的な復興は時間が経てばできても、心の痛みは簡単に消えない。

心に深い傷を負った人に対して、自分に何ができるのか、何もないかもしれない。それほど一人の人間は無力だと気付かされる。

だからこそ、いつ来るかわからないから、災害への備えはしておかないといけないと思う。

食糧の貯蔵と避難困難者の登録程度しかしていないから、予備電源の確保や避難の方法まで考えないと。

今回のコロナでも感じたが、当たり前など存在しない。些細なことでさえ、感謝。食事、睡眠、会話、交通機関を使っての移動、遊び、仕事、サッカー…。

これらができるだけありがたい。今さっき挨拶を交わした人と、次に会える保証はないし、自分の命でさえもいつかは必ず終わる。

日々人生最後の一日だと思って、生かされている限り生きたいと思った。

執筆:高林貴将